Twitter やめました。
ズラリと並んだ路地の酒場のドア達も
開けずに通り過ぎれば単なる扉のままで、
意を決してエイッと開いてこそ、
実体と実感を伴った世界が表出する。
柄にもなく小鳥などに化けようと思ったのも
未知なるドアを押開けて、
未知なる世界を覗き見たい好奇心からで、
ただただ通り過ぎるだけでは限定的な世界しか広がらない、
と思ったからなのでした。
でも、やっぱりダメでした。
俺には向いていない世界でした。
そこは常連達の集う店で、
それでも一旦入った店だもの、どうにか馴染もうと、
あれこれ会話の努力もしたのですが、
重ねれば重ねる程、
言葉が摩耗してツルツルののっぺらぼうになるような気がして、
仕舞いには言葉に毒気が滲み出して来そうで、
次第に気分も口も重くなりました。
「もっとフォローしないと面白くないですよ」
という言葉に、それはとても親切な語りかけだったのですが、
その声に俄に酔いが覚めました。
俺は画面の中に「世の中」を求めていない。
画面を通して見ず知らずの人々とお話したり仲間になったり、
そういう事は好きではないのです。
俺は酒場では自分からは決して話しかけない。
サッと飲んで、サッパリと退出するのが酒場の極意。
長居は無用、を日頃から心掛けているのです。
もとより野の小鳥は気まぐれな生き物で、
気分次第であの枝この枝と飛び回り、
人間に媚びたり懐いたりはしないものです。
余談ですが、
昔、室内のカゴの中に小鳥を飼っていた事があります。
とても気の毒な事をしたと思っています。
自由に飛び回れる生き物をカゴの中に閉じ込める、
というのは間違っていた。
それでも時折カゴから出してやると、
手のひらに乗って来ては激しく噛み付いてくるその根性に
野の小鳥の意地を見るようで
何だか嬉しいようにも感じたものです。
そうだ!人間なんかに懐くなトリちゃん!
(「トリちゃん」とは小鳥の名前です)
とはいえ、折角フォローしてくださった皆さんには
なんだか悪い事をしたなあ、と思っています。
ぶっきらぼうに退出してしまってごめんなさいね。
正直、やめてサッパリしました。
どうにも四六時中、どこかと繋がっている感じがして、
大切にしている「孤独」が浸食されてゆくような気分でした。
何事もやってみなくては分からないものです。
良い経験になりました。
俺ならいつでもここにいる。