2012年6月30日

昨夜は珍しく久々に比較的良く眠れたので、
梅雨の晴間の朝の光が一段と気持ちが良い。
慢性的に鬱屈する精神には睡眠がなによりの薬らしい。
なんだかやれそうな気分だ。
やる、といっても一体何を?
何だっていいんだ、何だって。

愛とか、恋とか、夢とか、希望とか、
目の前にひとつも現れない事を
「こしらえて」歌うより
俺は「焼鳥屋の与太話」の歌を歌うぞ。
徹底的にそれのみを歌う。
何故ならそれが俺の人生だからだ。

要するにお前に聴かせる歌など一曲も無い。
お前は何か別の歌を聴け。お前向けのやつを。
俺の歌は聴くな。
俺にとって俺の歌はお前のような奴等と闘うための歌だ。
そして俺は俺の歌によって
俺が辿るであろう運命を受け入れる覚悟は出来ている。
お前なんぞに媚びへつらうくらいなら
堂々と退場する事を選ぶ。

新しい歌が十曲。
漸く纏まった。
歌のくだらなさは
即ち俺自身のくだらなさで、
それ等は「くだらない人間」からの
「自分ではくだらなくないと思っている人間達」への
抵抗と闘いの叫び声だ。
お前と闘う為に俺は声を持って生まれてきたのだ。

たとえ今日死んでも後悔しないアルバムになったと思う。
だけどはっきりと言っておく。
冗談じゃねえよ、殺されてたまるか。

俺は今日も焼鳥屋で清酒と一緒に人生を味わうだろう。
その甘味と苦味を。
お楽しみはこれからだ。
クソッタレ。