2012年7月25日

ふとした事から或る方に中断以前のメガネ節アーカイブスを頂いたので、
押し入れから久方ぶりに発掘された古いアルバムを
開くような心持ちで読み返しました。

2006年5月26日から始まるそれは、
当然、年齢的に今より若く、
発言の内容も勢い任せな部分も多くあるけれども、
全体としては現在の俺よりも表現が瑞々しくて楽しい。
比べてみると今の俺は随分と臆病で用心深くて楽しくない。
内面世界がそれほど変化したという自覚もないのだが、
日々の積み重ねの中で出来た傷口から入った毒が
少しずつ感覚を麻痺させて行っているのだろうか。
こうして座ったまま石になるのか。

今読んでいる本の中に
「自ずからのファシズム」
という言葉があって、
それは例えば体制などの大きな力からの抑圧もないのに、
自らの言動を自発的に画一的に抑制してしまう様子の事を指すようで、
要するに「個」というものを自ら抑制して、
平べったい「全体主義」にこれまた自らシフトしてゆく、
といった事らしい。

「空気読め」という名の相互監視。
踏み外す者に待っているのは陰険な「リンチ」だ。
集団の「空気」が「個」を抑圧し、
全体主義を正当化してゆく仕組み。
今日に於いてそれは、
例えば戦時中のような「上から」の圧力ではなく、
あくまでも「自分の内側」からの自発的な力で、
その「自発性」こそが最も重篤な問題なのではないか?
と、これは全くの受け売りだけれども、
俺もそう思う。
誰に禁止された訳でもないのに、
自発的に表現を生き方を限定してゆく。
年齢が、老化が、俺をそうさせてゆくのだろうか。
歳追う毎に憂鬱の度合いは深さを増して、
心の底の底にガッシリと根を下ろしてしまう。
ストレートな怒り。ストレートな愉楽。ストレートな悲哀。
そういったものは浸食され色褪せてしまうのだろうか。

イカンなあ。イカンイカン!
非常にイカンぞ!
元より俺はポンコツ王国のポンコツ国王なのだ。
ズッコケて笑われるのは国王の「ご公務」だ。
イイ歳ぶっこいて子供みたいにマヌケにズッコケられれば、
それは例えば「地位も名誉も品格も備えた大人の男」になるよりも
ずっとずっとオモロくて素敵な事なのではなかったのか!
そーでした。
あんなポマード臭い人間になってたまるか。

根っこを下ろした憂鬱は今更撤去する術もないけれども、
そんなもん無視!俺は殺されねえぞ!
殺される為に生まれて来た訳じゃねえんだ!

齢44歳。
いよいよ青臭く、馬鹿馬鹿しく、呆れられる人間になりたいものです。
他のご同輩がどういったものなのかは知らないけれど、
俺にはポマードは勿論(ゲーハだし)、変なオーデコロンみたいなのも必要ナシ。
あんな臭いものを付けるくらいなら二日酔いの野良犬みたいな臭いの方がマシだ。

そして野良犬の臭いと姿勢のままで、
ポンコツ国歌斉唱!
まあ、そんなものは無いけど。ハハハ。

よし!気合い入れ直す!
明日から毎日更新!

クダラン事をクダランままに、書き捨てるぞ。